小室直樹に学ぶ 日本の近代化は天皇の奇蹟

小室直樹博士に学ぶ 日本の近代化は天皇の奇蹟



後醍醐天皇の失政・失徳(安積澹泊)

 小室直樹は、水戸藩士の儒学者安積澹泊の論を紹介し、後醍醐天皇の失政・失徳について解説します。

「なぜ、建武の中興は失敗したか。澹泊は論ずる。後醍醐天皇は、幕府をほろぼし北条高時の一氏を全滅させた。そして、承久の変において朝廷が幕府に負けて三上皇(後鳥羽上皇、順徳上皇、土御門上皇が島流しにされた恥をそそいだ。この中興の功業はたいへんなものであったが、その後がいけなかった。足利高氏は、狡獪このうえなく、北条高時などよりずっと悪党であった。それなのに後醍醐天皇は高氏の悪企らみに気付かず、高氏を重く用いた。しかし、藤原兼子を可愛がりすぎて、彼女の言を、あまりにも重く用いすぎた。そのため忠臣はうとんぜられ、佞臣は重く用いられ、賞罰はみだれた。」

「澹泊の議論は、文章はうまいけれども、論旨はまことに儒学の公式どおりである。要するに、後醍醐天皇は、暗愚失徳の天子であったから天下を失なった。澹泊の論旨は、畢竟、これにつきる。」

後醍醐天皇の失政・失徳(三宅観瀾)

 小室直樹は、水戸藩士の儒学者三宅観瀾の論を紹介し、後醍醐天皇の失政・失徳について解説します。

「三宅観瀾の『中興鑑言』となると、後醍醐天皇攻撃は、さらに辛辣で劇甚なものがある。後醍醐天皇は、失徳失政の天子で、為政者として致命的な欠陥だらけの天子であった。それが何より証拠には、彼の後裔たる南朝の天子は、全く草莽の中に没して、いまや、あとかたもないではないか。」

天皇への忠義の絶対化

 小室直樹は、後醍醐天皇が失政・失徳の天子となることで、楠木正成の忠義が赫然たるものとなり、天皇に対する忠義が絶対的なものになることを解説します。

「例はこのくらいでよいだろう。このように、水戸学の首領、中堅、俊英、あげてことごとく、天皇の不徳失徳欠陥へむけて総攻撃。それと同時に、水戸学、崎門の学における楠木正成に対する熱狂的敬慕。」

「水戸学の始祖徳川光圀が、中国(明)からの亡命学者朱舜水に師事したことは有名。舜水は、『楠公父子湊川の別れ』の賛を書いた。光圀と舜水の力により、楠木正成は、兵法のチャンピオンから代表的忠臣となった。その理由は、『天下ことごとく賊軍になっても』ただ一人、後醍醐天皇に絶対的な忠義をつくしたからである。」

「後醍醐天皇が暗君であればあるほど、失徳の天子であればあるほど、正成の同天皇に対する忠義は赫然たるものとなり、天皇に対する『忠義』は高められて絶対的なものとなった。」

日本の天皇の奇蹟

 小室直樹は、このような水戸学の思想が、祟り神であった天皇をキリスト教的な神に転換させた。それが明治維新の原動力になり、アジアにおいていち早く近代化を達成することができた理由であると指摘します。

「このプロセスをへて、身の毛もよだつ祟り神であった崇徳天皇から後醍醐天皇にいたる諸天皇は、国の鎮めの守り神となり、全国民の崇敬をあつめる現人神となった。」

「怒りの神、呪いの神、嫉妬の神、ジェノサイド(大虐殺)の神エホバが、天にまします父なる愛の神となったように。」

「『日本の天皇は神である』明治四年(一八七一年)におこなわれた廃藩置県をみて、英国の駐日公使パークスは歎じてこういった。ヨーロッパにおいて、こんなことをおこなおうとすれば何十年、いやことによったら百年以上の血腫い戦争の後にはじめて可能であろう。それを、一片の勅令によって、一気に断行してしまうなんて、日本の天皇は、まさしく神である。明治天皇が登極(即位)して、維新回天(体制一新)の大業が成ったとき、天皇は、神であった。」

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