アシリパさんのコタンとアイヌ人口

ゴールデンカムイを楽しむ① 
アシリパさんのコタンとアイヌ人口

 2018年10月、アニメゴールデンカムイの第二期がスタートします。

 冒険、アクション、グルメ、明治の北海道、アイヌの文化など見どころの多いこの作品を楽しむために、当時のアイヌの状況を少し検討してみました。

アイヌの人口

 明治時代、北海道のアイヌは、どの地域に、どのくらいの人口がいたのでしょうか?
 
 明治22年(1889年)の調査の結果が、以下のとおりです(出典は「あいぬ風俗略志」、村尾元長、北海道同盟著訳館、1892年)。

石狩   950人
(内訳) 
 札幌  403人
 上川  199人
 樺戸   52人
 雨竜   59人
 夕張   20人
 石狩   54人
 厚田    6人
 浜益  157人

後志   709人
(内訳)
 高嶋   59人
 忍路   70人
 余市  235人
 古平   49人
 美国   12人
 積丹   46人
 古字   37人
 岩内   32人
 磯谷    6人
 歌棄    2人
 寿都    6人
 嶋牧   27人
 瀬棚   67人
 太櫓   50人
 久遠   11人

渡島   208人
(内訳)
 爾志    8人
 茅部  200人

胆振  3521人
(内訳)
 山越  258人
 虻田  500人
 有珠  470人
 室蘭  183人
 幌別  245人
 白老  569人
 勇払 1010人
 千歳  286人

日高  5806人
(内訳)
 沙流 1640人
 新冠  635人
 静内 1616人
 三石  396人
 浦河 1148人
 様似  313人
 幌泉   58人
 

十勝  1528人
(内訳)
 広尾  176人
 当緑   45人
 十勝   49人
 中川  626人
 河西  455人
 河東  167人
 上川   10人

釧路  1615人 
(内訳)
 足寄  110人
 川上  265人
 阿寒  236人
 白糠  422人
 釧路  435人
 厚岸  147人
 

根室   448人
(内訳)
 根室   93人
 野付  144人
 標津  120人
 目梨   91人
 

千島   539人
(内訳)
 国後   36人
 色丹   63人
 振別  100人
 択捉   76人
 紗那  173人
 蘂取   91人

北見  1134人
(内訳)
 斜里  164人
 網走  210人
 常呂  107人
 紋別  294人
 枝幸  154人
 宗谷  157人
 礼文   12人
 利尻   36人

天塩   287人
(内訳)
 中川   17人
 上川   49人
 天塩   55人
 苫前   47人
 留萌   84人
 増毛   35人

 合計すると、1万6745人(男8261人、女8484人)です、

 アシリパさんの時代、明治30年代になっても、大きな増加はなく、「1万7500人を超えた年は稀」(「アイヌ政策史」日本評論社、高倉新一郎、1943)とのことです。

 このような状況下、和人の入植は進み、北海道の人口は、明治34年には100万人を突破、大正9年の国勢調査の際には236万人に増加しています。

アシリパさんのコタンはどこ?

 このアイヌ人口調査は明治22年(1889年)のものです。

 日露戦争が終わったのが明治38年(1905年)の9月。二百三高地で活躍した主人公・杉元佐一が北海道に来たのは、この後ですから、この人口調査は、ゴールデンカムイの物語の16年ほど前のものです。

 後志の高嶋というところは、現在の小樽市の一部です。

 江戸時代から松前藩が場所を開き、文化4年には天領になるなど、古くから、和人が出入りしている土地でした。小樽市街地の西側の山の方になります。後に高島町になり、昭和15年に小樽市に編入されています。

 ゴールデンカムイのもう一人の主人公アシリパさんのコタンは、小樽の周囲ですから、この高嶋にあると推定されます。

 高嶋より西の忍路(おしょろ)の可能性もありますが、物語上、小樽の市街地に相当近く見えますので、高嶋が有力と考えられます。

 アシリパの父ウィルクと、その同志キロランケは、明治14年(1881年)、15歳のころ、サンプトペテルブルクで皇帝アレクサンドル2世を暗殺し、樺太を経由して、北海道に逃げてきました。
 明治22年(1889年)には、もう北海道に流れ着いていると考えてよさそうです。
 明治37年から明治38年(1904年~1905年)ころ、キロランケが第七師団に徴兵され、二百三高地で工兵をしたのは、38歳ころになるでしょうか。

 キロランケニシパは、アシリパさんとコタンは違いますが、距離的には近いようですから、高嶋の別のコタンか、その西の忍路(おしょろ)あたりに家があるようです。

 このように考えていくと、上記調査の高嶋の59人もしくは忍路の70人のうちに、アシリパさんの母や、父のウィルク、祖母のフチ、そしてキロランケ一家がいることになりそうです。

アイヌ人口の分布

 アイヌは、大半が北海道南部に住んでいました。この調査でも、南側の海に面した胆振・日高・十勝・釧路地方に1万6754人のうち1万2470人が住んでいます。このため、物語上でも、フチの兄弟姉妹は北海道の南部、胆振の勇払(インカラマツと出会うコタン)や、日高の新冠(親分と姫と出会うコタン)、釧路(ラッコ鍋を食べるコタン)に住んでいます。

 公益社団法人北海道アイヌ協会が、現在、アイヌとしての民族意識を持つ人を調査した結果は、総数が1万6786人です。そののうち、同じく胆振・日高・十勝・釧路に住む人を合計すると1万3797人となり、約130年後も、ほとんど同じ分布状況になっています。ただし、アシリパさんのコタンがある後志地方は0人になってしまいました。


(「公益社団法人北海道アイヌ協会」ウェブサイトより)
 
 小樽周辺のアイヌは少数派であるところ、将来、アイヌを導く者になるアシリパさんとしては、人口の少ない地帯の出身であることが、足かせになるかもしれません。

旭川第七師団

 上記人口調査では、上川という地名が複数あり混乱しますが、石狩の上川が現在の旭川市です。

 旭川の第七師団の創設は明治29年(1896年)です。このアイヌ人口調査は、明治22年(1889年)の調査ですから、旭川はまだ、開拓がはじまってもいません。

 明治24年に旭川市永山に屯田兵が入って、旭川の本格的な開拓がはじまります。

 アイヌは、アシリパさんのように狩猟もしますし、軽い農耕もしますが、基本的には沿岸部に住む漁業民で、内陸部にはあまり住みません。内陸部に集落があるところは、湖があるとか、鮭の遡上地の川沿いなど漁業ができるところです。

 旭川は、明治22年ころは、数名の和人と、この調査の「石狩の上川」のアイヌ199人が(約300人という調査もあります)、鮭が遡上する河川沿いに居を構え、狩猟や軽い農耕をしつつ、鮭漁を中心に生活していたほかは、広大な樹海地でした。
 それが、10数年後のゴールデンカムイの物語の世界で、第七師団のある軍都として描かれる大きな都市になっています。

 ゴールデンカムイで描写される北のウォール街小樽の発展ぶりといい、明治のダイナミズムってすごいですね。

 国策として投資して、小さな港町の小樽や、上川の樹海の中に、10数年で大きな都市を作り上げる。そこで生まれる経済効果は、絶大なものがありそうです。

 戦後の日本は、東京一極集中政策で高度経済成長をすすめ、成功しました。しかし、バブル崩壊後は、ダイナミズムが失われているにもかかわらず、同じ政策を続け停滞しており、投資効率に疑問を感じます。東京五輪後は、東京への過剰投資を見直し、国の活力を取り戻したいですね。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です