マインドフルネスから仏教瞑想へ④

マインドフルネスから仏教瞑想へ④

歩く瞑想

 歩く瞑想の場合なども、実況中継のように念ずることは、同じです。

 今度は、ミャンマーの上座部仏教の高僧マハーシ長老の書籍から引用します。

 歩く瞑想は、


 歩くたびに、
 「歩いている、歩いている」
 あるいは
 「右足が歩いている、右足が歩いている」
 または、
 「左足が歩いている、左足が歩いている」
 と念じてください。
  足を踏み上げて踏み出すまで、最初から最後までの歩みを自覚しておかなければなりません。
 (「ミャンマーの瞑想 ヴィパッサナー観法」、マハーシ長老著、国際語学社)

という要領で念じながら行います。
 
 食事のときなども、


 口に触れたら、
 「触れている、触れている」
 と念じ、口を開けたら、
 「開けている、開けている」
 と念じてください、
 口に入れる時には、
 「入れている、入れている」
 と念じてください。(同書)

というような要領で、観法を続けます。
 

ヴィパッサナー瞑想のポイント

 ヴィパッサナーのポイントは、


一、良いことにせよ悪いことにせよ、考えること、思い出すこと、想像することなどの心の状態を念じること(心)
二、大小問わず、体による行為をするために念じること(身)
三、快感でも不快感でも、体または心に感じるすべてのことを念じること(受)
四、良いことにせよ悪いことにせよ、心の中に現れてきたあらゆる対象(物事)を念じること(法)
 このような特別に念ずべき物事が生じてこない時は、膨らみや引っ込みや座りなど、もとの対象に戻り、念を繰り返して下さい。
 ただし、歩いている時は、
 「足を持ち上げる、運ぶ、踏み出す」
 その三つだけを念じ続けて下さい。(同書)

とのことです。 

経典上の根拠

 古い経典にもこのような瞑想は書かれています。

 例えば、

 修行僧は歩いていけば「わたしは歩いている」と知り、また、立っていれば「わたしは立っている」と知るのである。また、坐っていれば「私は坐っている」と知り、臥せていれば「わたしは臥せている」と知るのである。また、いかなる状態であれ、かれの身体がおかれている状態のとおりに、それを知るのである。(「原始仏典第二巻 長部経典Ⅱ」心の専注の確立 ―大念処経、中村元監修、春秋社)

 とあり、食事や大小便のときも気をつけて行うようにとされています。

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