マインドフルネスから仏教瞑想へ③

マインドフルネスから仏教瞑想へ③

出入息観、念身

 マインドフルネスの原型となったヴィパッサナー瞑想ですが、仏教の経典ではどのようになっているのでしょうか。

 原始経典には、このような呼吸と身体に集中する修行法を説いたものが沢山あります。


 足を組んで身体をまっすぐに伸ばし、正面に思いを定めて座る。
 かれは意識しながら息を吸い、意識しながら息を吐く。
 長く息を吸いながら、「私は長く息を吸っている」と知る。
 長く息を吐きながら、私は長く息を吐いている」と知る。


 短く息を吸いながら、「私は短く息を吸っている」と知る。
 短く息を吐きながら、「私は短く息を吐いている」と知る。


 「全身を感じ取りながら息を吸おう」と練習する。
 「全身を感じ取りながら息を吐こう」と練習する。

(中略)
 「心の活動を感じながら息を吸おう」と練習する。
 「心の活動を感じながら息を吐こう」と練習する。


 「心の活動を鎮めながら息を吸おう」と練習する。
 「心の活動を鎮めながら息を吐こう」と練習する。


 「心を感じ取りながら息を吸おう」と練習する。
 「心を感じ散りながら息を吐こう」と練習する。

(「原始仏典第七巻 中部経典Ⅳ」出入息観 ―治意経、中村元監修、春秋社)

 であるとか、


 足を組んで身体をまっすぐに伸ばし、正面に思いを定めて座る。
 かれは意識しながら息を吸い、意識しながら息を吐く。
 長く息を吸いながら、「私は長く息を吸っている」と知る。
 長く息を吐きながら、私は長く息を吐いている」と知る。


 短く息を吸いながら、「私は短く息を吸っている」と知る。
 短く息を吐きながら、「私は短く息を吐いている」と知る。


 「全身を感じ取りながら息を吸おう」と練習する。
 「全身を感じ取りながら息を吐こう」と練習する。


 「身体の活動を鎮めながら息を吸おう」と練習する。
 「身体の活動を鎮めながら息を吐こう」と練習する。


 かれがこのようにたゆみなく熱心に打ち込んでいると、在家的な記憶と思考がなくなる。
 それがなくなると内に心が安定し、落ち着き、集束し、集中する。

(「原始仏典第七巻 中部経典Ⅳ」身体に向けた注意 ―念身経、中村元監修、春秋社)

 というように、ほぼ同じような、呼吸の入出息観が書かれたものが、多数あります。
 
 呼吸する息の流れを認識し続け、呼吸する身体を認識し続ける、このような古くからの教えが、ヴィパッサナー瞑想瞑想の根拠となっているわけです。
  
 このような経典と比較すると、スマナサーラ師の著作が意識しながら身体を動かしたり呼吸することを「実況中継する」と表現することや、呼吸や身体を感じるのに活動する腹の動きを中心にすえるというやり方は、基本から外れることはなく、なおかつ初心のうちからコツをつかみやすく分かりやすいものに思えますので、平易で優れた指導法ではないでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です