岡崎久彦に学ぶ 天皇の存在は国民の財産

岡崎久彦に学ぶ 天皇の存在は国民の財産



天皇の存在は体制の変動期に力を発揮する

 元外交官の岡崎久彦氏は、天皇の存在は、日本が、百年に一度来るかどうかの変動期において、難局を乗り切るための貴重な民族的財産であると解説します。

「日本の天皇制というものは、過去一千年の歴史の中で、明治維新とか、終戦の詔勅とか、百年に一度来るかどうかわからないような変動期において、国民的な統合を失わずに民族の難局を乗り切るのに役に立った貴重な民族的財産であり、通常の時に軽々しく使ってはいけない、まして、毀誉褒貶があり得ることには一切使ってはいけない、ということであった。」

「天皇が国民統合の象徴だという現行憲法の規定は悪くないし、日本の歴史的伝統を反映している。この憲法体制が機能し、天皇が象徴だけにとどまられて、いかなる手垢もつかず次々に皇位を継承されて行く、これが、日本という国が平和と安寧の中に過ごしていることの証左であるとともに、万一既存の体制が、幕藩鎖国体制や、軍国主義体制の末期のように硬直化して国民の利益を守れなくなった時には-どんな体制でも永遠ということはない-国民的統合を失わずにこれに対処する貴重な政治的財産を温存し続けていることになる。」

天皇の存在は、後世の日本人に伝える大事な財産

 
 岡崎氏は、天皇の存在については、その時の外交に有益だとか、国民に人気があるとか、そういう次元の話ではなく、いささかの傷もつけないまま後世の日本人に引き継いでいくことが大事だと説きます。

「天皇制について何よりも大事なことは、その時点時点の日本の外交に役に立つとか、国民に人気があるとかということではなく、いささかのキズも汚れもつけずに、これを後世の世代の日本人に残すことだと論じたのである。」

皇室のプライヴァシーは一般人よりも厳しく

 岡崎氏は、開かれた皇室の行き過ぎを批判し、皇室のプライヴァシーは、一般の人よりも厳しくすることでようやくバランスが取れると述べています。

「皇室の内情を開放すれば良い面も悪い面もすべて外部に曝される。世の中に完全な人間というものも、完全な家族というものも存在しない。皇室にその例外を求めることこそ皇室の神格化を要求することである。もし、多かれ少なかれどこの家庭でもあるような悩み事が表に出た場合、『開かれた皇室』を主張して来た人々は率先して皇室を庇ってくれるだろうか?それは本来期待し得べくもない。」

「どんな一般人でも世間体のために外部に知られたくないこともあり、プライヴァシーの権利がある。皇室にも同じ権利があるのは当然である。まして一般の人がふだんやっているようなことでも、皇室の場合はニュース・ヴァリューがあることを考えると、一般の人よりもプライヴァシーを厳しくするのがバランスのとれた考え方であろう。」

「もし今後とも、『開かれた皇室』のスローガンの下に、皇室のプライヴァシーの保護がはずれてしまった後-何年、何十年か後、あるいは何世代後かの皇室の時かわからないが-その時に何が待ち構えているかということである。その時こそ、天皇制にキズをつける意図のある人々にとってのチャンスが訪れる可能性を排除できないのである。」

「われわれの世代の義務は、そうした危険を出来るかぎり未然に避けられるような制度習慣を後の世代に残して置くことだと思う。」

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後醍醐天皇の失政・失徳(安積澹泊)

 小室直樹は、水戸藩士の儒学者安積澹泊の論を紹介し、後醍醐天皇の失政・失徳について解説します。

「なぜ、建武の中興は失敗したか。澹泊は論ずる。後醍醐天皇は、幕府をほろぼし北条高時の一氏を全滅させた。そして、承久の変において朝廷が幕府に負けて三上皇(後鳥羽上皇、順徳上皇、土御門上皇が島流しにされた恥をそそいだ。この中興の功業はたいへんなものであったが、その後がいけなかった。足利高氏は、狡獪このうえなく、北条高時などよりずっと悪党であった。それなのに後醍醐天皇は高氏の悪企らみに気付かず、高氏を重く用いた。しかし、藤原兼子を可愛がりすぎて、彼女の言を、あまりにも重く用いすぎた。そのため忠臣はうとんぜられ、佞臣は重く用いられ、賞罰はみだれた。」

「澹泊の議論は、文章はうまいけれども、論旨はまことに儒学の公式どおりである。要するに、後醍醐天皇は、暗愚失徳の天子であったから天下を失なった。澹泊の論旨は、畢竟、これにつきる。」

後醍醐天皇の失政・失徳(三宅観瀾)

 小室直樹は、水戸藩士の儒学者三宅観瀾の論を紹介し、後醍醐天皇の失政・失徳について解説します。

「三宅観瀾の『中興鑑言』となると、後醍醐天皇攻撃は、さらに辛辣で劇甚なものがある。後醍醐天皇は、失徳失政の天子で、為政者として致命的な欠陥だらけの天子であった。それが何より証拠には、彼の後裔たる南朝の天子は、全く草莽の中に没して、いまや、あとかたもないではないか。」

天皇への忠義の絶対化

 小室直樹は、後醍醐天皇が失政・失徳の天子となることで、楠木正成の忠義が赫然たるものとなり、天皇に対する忠義が絶対的なものになることを解説します。

「例はこのくらいでよいだろう。このように、水戸学の首領、中堅、俊英、あげてことごとく、天皇の不徳失徳欠陥へむけて総攻撃。それと同時に、水戸学、崎門の学における楠木正成に対する熱狂的敬慕。」

「水戸学の始祖徳川光圀が、中国(明)からの亡命学者朱舜水に師事したことは有名。舜水は、『楠公父子湊川の別れ』の賛を書いた。光圀と舜水の力により、楠木正成は、兵法のチャンピオンから代表的忠臣となった。その理由は、『天下ことごとく賊軍になっても』ただ一人、後醍醐天皇に絶対的な忠義をつくしたからである。」

「後醍醐天皇が暗君であればあるほど、失徳の天子であればあるほど、正成の同天皇に対する忠義は赫然たるものとなり、天皇に対する『忠義』は高められて絶対的なものとなった。」

日本の天皇の奇蹟

 小室直樹は、このような水戸学の思想が、祟り神であった天皇をキリスト教的な神に転換させた。それが明治維新の原動力になり、アジアにおいていち早く近代化を達成することができた理由であると指摘します。

「このプロセスをへて、身の毛もよだつ祟り神であった崇徳天皇から後醍醐天皇にいたる諸天皇は、国の鎮めの守り神となり、全国民の崇敬をあつめる現人神となった。」

「怒りの神、呪いの神、嫉妬の神、ジェノサイド(大虐殺)の神エホバが、天にまします父なる愛の神となったように。」

「『日本の天皇は神である』明治四年(一八七一年)におこなわれた廃藩置県をみて、英国の駐日公使パークスは歎じてこういった。ヨーロッパにおいて、こんなことをおこなおうとすれば何十年、いやことによったら百年以上の血腫い戦争の後にはじめて可能であろう。それを、一片の勅令によって、一気に断行してしまうなんて、日本の天皇は、まさしく神である。明治天皇が登極(即位)して、維新回天(体制一新)の大業が成ったとき、天皇は、神であった。」

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「テムズとともに」 新天皇のお人柄は?



新天皇のお人柄は? テムズとともに

新天皇のお人柄は? 「テムズとともに ―英国の二年間―」



皇太子殿下のご著書

 平成31年4月1日、菅官房長官が、本年5月1日以降の新元号「令和」を発表しました。

 いよいよ、御代替わりが間近に迫っています。

 新たに即位される現皇太子の徳仁親王殿下には、平成5年(1993年)に出版された「テムズとともに ―英国の二年間―」(学習院教養新書)というご著書があります。

「テムズとともに ―英国の二年間―」は、皇太子殿下の2年間のオックスフォード大学留学の回想録です。基本的には、イギリスでの研究生活を書かれたものですが、固い内容ではなく、はじめての海外生活で経験された様々な日常的な出来事を、時にはユーモアをまじえながら記述されています。文章を読むと、歴史や芸術などへの教養の幅広さや、品のあるお人柄が分かります。

 また、海外での自由な生活を記述することで、自然と、日本国内での自由の無いお立場との落差が浮き彫りになります。読みながら、「そんなことを新鮮にお感じになられるのか」と驚かされることがあります。そこがこの本の魅力のひとつでもあります。我々一般人は、皇族の生活の「悲哀」と言っては失礼ならば、国内でのお立場の大変さを感じずにはいられないところがあります。

大学寮に到着して

「自分の部屋をまったく自分の意志のままに使えるのはいいものである。スーツケース一個分の荷物ではあったが、どこに何を置くかあれこれ試行錯誤してけっこう時間を費やした」

銀行

「私はオックスフォードで初めて銀行に行く経験をした。それは、英国以外の国へ行く機会も多かったため、現地で使用した紙幣を英国のポンドに両替するためである。最初で最後の経験かもしれない。」

クレジット・カード

「カードの通用する店ではクレジット・カードでの買い物をしていたが、これも今後はまず縁のないことであろう。」

洗濯

「私が週末にした大きなこととして洗濯を挙げなければならない。幸い私の住むセント・オーバンス・クオッドの地下にはいわゆるローンドリーがあり、洗濯機が三台と乾燥機が二台備えつけられ、そばに乾燥室もあった。私もマートンに入学してからこれらの機械の使用法を聞き、ほぼ週末になるたびに利用した。要は洗濯物を機械の中に入れ、適量の洗剤を注ぎ、お金を入れるだけのことであったが、慣れない私には興味津々であった。」

寮内で学友と

「Your Highnessに当たる日本語も聞いてきた。そこで私は『殿下』であると教え、よせばいいのに天井の電気を指してこれはデンカではなくデンキであるから混同しないようにと言ってしまった。しまったと思った時は後の祭りで、彼らは私を指してデンキと言ったり、天井の電気を指してデンカと言ったりするようになってしまった。」

ウッソーの本義

「私はオックスフォード滞在中は、外出時にはできる限りジーンズなどのラフなスタイルで歩くようにしていた。私と顔を合わせた日本からの観光客も最初は目を疑ったらしい。若い女性から目の前で『ウッソー!』と言われた時は、『ウッソー!』の本義を知らず、どう反応していいか迷った。」

ディスコ

「生まれて初めて入るディスコのこと、内部の騒音は聞きしにまさるものと思った。フロアーは若い人々が中心で、それぞれのステップで踊っている。私もまったく自己流のステップで踊りの仲間入りをし、MCRの女子学生と向かいあって踊ったりしたので、退屈するようなこともなかった。ディスコを後にしたのは夜中の二時を回っていた。私にとって生涯最初で最後のディスコであったかもしれない。」

図書館で傘を盗まれて

「結局雨足の激しい道を十分近くコレッジまでずぶ濡れになって帰った。その傘は気に入りのものだったため残念であったが、誰かが濡れずに帰ったのだと思えば、まあそれなりの貢献をしたことにもなろう。」

交通史の研究について

「そもそも私は、幼少の頃から交通の媒介となる『道』についてたいへん興味があった。ことに、外に出たくともままならない私の立場では、たとえ赤坂御用地の中を歩くにしても、道を通ることにより、今まで全く知らない世界に旅立つことができたわけである。初等科の低学年の時だったと思うが、私はたまたま赤坂御用地を散策中に『奥州街道』と書かれた標識を見つけた。この標識自体は新しいものであったが、古地図や専門家の意見などにより、実は鎌倉時代の街道が御用地内を通っていたことが分かり、この時は本当に興奮した。」

オックスフォードを去るにあたり

「再びオックスフォードを訪れる時は、今のように自由な一学生としてこの町を見て回ることはできないであろう。おそらく町そのものは今後も変わらないが、変わるのは自分の立場であろうなどと考えると、妙な焦燥感におそわれ、いっそこのまま時間が止まってくれたらなどと考えてしまう。」

新天皇のお人柄

 上記のとおり、ほんの一部抽出するだけでも、新天皇陛下の、品が良くて、ユーモアを解するお人柄が伝わります。

 また、当時とっくに成人されていた皇太子さまが、スーツケース一つのわずかな荷物を自分で配置した程度のことで、「自分の部屋をまったく自分の意志のままに使えるのはいいものである」という強調的な書きぶりをするというのは、よほど普段の生活が決め事が多く、自分の思い通りにはできないのだなと想像させられます。