高橋洋一博士に学ぶ「国債の真実」

高橋洋一博士に学ぶ「国債の真実」



企業は金を借りて運営する、国家も同じ

 高橋洋一氏は、企業が融資を受けて経営するのと同様、国家は国債を発行して運営するものであり、国の経営と個人の家計を混同して、借金を悪と見なす発想は間違っている、と指摘します。

「企業は融資を受けて経営する。政府は国債を発行して国家を運営する。政府の借金を個人の借金と混同して「悪」とすれば、本質を大きく見誤る。」

政府が発行した国債はどこに行くのか

 
 高橋氏は、国債の買受人が基本的に民間金融機関であると解説します。

「国債発行により、政府は誰から借金をするのか。基本的には銀行や信用金庫、証券会社などの民間の金融機関である。財務省と民間金融機関の間では、国債はつねに『入札』で売買される。入札が出そろったら財務省の担当者は、入札額が高い順に売り先を決めていき、発行額が足りたところで打ち切る。」

日銀は国債で得た利子収入を政府に上納している

 高橋氏による、買いオペレーション、通貨発行益(シニョリッジ)、国庫交付金の解説は、以下のとおりです。

「日銀が民間金融機関から国債を買うと、その代金は民間金融機関が日銀にもっている『日銀当座預金』に振り込まれる。日銀が民間金融機関から国債を買いお金を刷ることで、より多くのお金が市中に出回る。いわゆる買いオペレーション。」

「日銀は民間金融機関から買った国債の代金としてお金(日銀券)を刷る。日銀からすれば、国債を買い通貨を発行することで利子収入が発生する。そのため日銀が得る国債の利子収入を「通貨発行益」と呼ぶ。国債の利子収入は、通貨を発行することで生じる利益と言えるからだ。」

「日銀は、その通貨発行益を丸々国に納める。これを『国庫交付金』と呼ぶ。政府からすれば、税収以外の収入だから『税外収入』と呼ぶ。利子収入をもたらす国債は、日銀にとっては資産である。一方、日銀が発行する通貨(日銀券)は、日銀にとっては負債となる。」

日銀が国債を買うと円安になる

 高橋氏は、「日銀が国債を買うと円安になる」と解説します。

「金融緩和策は、為替にも影響する。為替が決まるメカニズムは『2つの通貨の交換比率』なので、通貨の『量』の比率で決まる。日本の円がアメリカのドルより相対的に多くなると、円の価値が下がり、円安になる。つまり、日銀が国債を買うと円安になる。」

国債が無くなったら 金融機関は商売ができない。

 高橋氏は、国債は金融市場には無くてはならないものだと述べます。

「国債は金融市場になくてはならない商品。金融市場では、国債以外にも株や社債といった金融商品が取引されているが、基本は『国債と何か』という取引。つまり、国債と株、国債と社債を交換するという取引が基本である。国債は、金融市場において、すぐにほかの商品と交換できる、非常に使い勝手のいい金融商品なのである。」

日本に財政問題は無い

 高橋氏は、バランスシートの負債から資産を引いた額「ネット」でみれば、日本に財政問題は存在しないと述べます。

「会計学では、負債の総額を『グロス』、負債から資産を引いた額を『ネット』という。大事なのはグロスではなくネット、つまり負債の総額ではなく負債と資産の差し引き額だ。政府には豊富な金融資産がある。さらに政府の『子会社』である日銀の負債と資産を合体させれば、政府の負債は相殺されてしまう。だから、日本に財政問題は無い。従って、増税の必要も歳出カットの必要もない。」

今の国債の発行額では足りないくらい

 高橋氏は、デフレ不況下においては、インフレになり過ぎない程度に、国債を発行するのが正しい財政政策と解説します。

「国債を発行するほど、政府が使うお金が増え、世の中に出回るお金が増え、結果的に物価が上がる。これはデフレ不況のときには、景気回復のための財政緩和策となるが、インフレが進みすぎると、それはそれでよくない。したがって国債の適切な発行額は、インフレになりすぎない程度、ということになる。」

中野剛志に学ぶ通貨と経済 
三橋貴明に学ぶ 消費税税を上げるな論①
三橋貴明に学ぶ 消費税を上げるな論②
高橋洋一に学ぶ 消費税を上げるな論
宮崎哲弥に学ぶ 消費税増を上げるな論
岩田規久男に学ぶ 消費税を上げるな論
高橋洋一博士に学ぶ 高度経済成長の理由
高橋洋一博士に学ぶ 復興特別税の問題点
高橋洋一博士に学ぶ 緊縮財政は良くない
高橋洋一博士に学ぶ「国債の真実」



お金の仕組み(通貨と経済成長)

中野剛志に学ぶお金の仕組み(通貨と経済成長)



 会社員ではない生き方を目指す際には、大なり小なり自らが経営者となることですから、お金や経済の仕組みについて理解しておくことは有益です。紹介するのは、評論家・元京都大学准教授の中野剛志氏の「貨幣と経済成長」という講演。同氏の著作「富国と強兵 地域経済学序説」の第1章から第3章をもとにした話です。

 日銀が大規模な金融緩和を継続しているにもかかわらず、いまだにデフレから脱却できない理由が良く分かります。
 また、ビットコインが理想的な通貨ではなく、構造的にデフレを生み出す不況モデルであるということも分かります。 

 以下、講義の要約を記述しておきます。
 

ビットコインの仕組み

 金属貨幣(金貨や銀貨等)は、鉱山の採掘により貴金属を入手する。ただし、通常は、市場で入手する。
 ビットコインは「マイニング(採掘)」(コンピュータ上の難解な数理処理)の報酬として入手する。ただし、そんなことをできる人間は限られており、通常は、取引所を通じて入手する。
 ビットコインの発行上限は2100万BTC。発行量が増えるとマイニングが難しくなる仕組みなので、需要が増えると希少性が高まり、価値が上がる。
 このように、ビットコインは、金属貨幣をモデルとした仕組み。

ウォズニアックの誤解

 
 ビットコインの信奉者、アップルの共同創業者スティーブ・ウォズニアックは、
 「金は、採掘技術が進歩すれば、供給が増え、価値が下がる。米ドルは、中央集権的な権力が想像できる『インチキのたぐい』に過ぎない。ビットコインの供給には、予測可能な有限性があるから、金や米ドルより優れている」、などと述べている。

 誰もが無限に通過を発行できるのであれば、ハイパーインフレになってしまうところ、ビットコインには発行上限(予測可能な有限性)があり、その価値を担保する仕組みになっている。ビットコインは需要されるほど、価値が上昇する。貨幣価値の上昇とは、物価の下落(=デフレ)のことでああるから、ビットコインの「予測可能な有限性」は、デフレを招くということになる。世界恐慌という大デフレ不況は、金本位制(金の量が足かせになって、貨幣供給量を増やせない」ことが原因になったと言われている。世界恐慌からの脱出は、金本位制からの離脱が不可欠だった。一方、ビットコインや金本位制と違い、ウォズニアックがインチキのたぐいよばわりする米ドルは、供給量を増やして貨幣価値を下げられるから、デフレを防止できる。

デフレとは何か

 デフレとは、「継続的な物価の下落」であるから、「貨幣価値の上昇」とイコールである。カネの価値があがるので、人々がカネを使うよりも、ためて置こうとする状態である。デフレになれば、消費をしなくなるので現在の世代が貧困化し、投資をしなくなるので将来の世代も貧困化する。

 デフレの原因は、
 貨幣価値の上昇=貨幣供給の不足
であるから、
 デフレ対策=貨幣供給の増加
となる。

商品貨幣論というよくある誤解

 貨幣とは、物々交換の効率の悪さを克服するために、交換手段として利便性の高い「物」として導入された。貨幣は、金銀などの貴金属でできており、それ自体が価値のある「商品」として取引される。紙幣は、金属貨幣より使いやすいから用いられるが、その紙幣の価値の根拠は、あくまで貴金属との兌換(交換)が保証されている点にある。

 これが商品貨幣論であるが、米ドルは1971年に金との兌換が停止されているが国際通貨として流通し続けているし、貨幣が物々交換から生じたという歴史的事実は存在しない。

信用貨幣論という正しい理解

 「貨幣とは負債の一形式であり、経済において交換手段として受け入れられた特殊な負債。」である。貨幣とは、共通の計算単位(円、ドル、ポンド等)で表示された負債のこと。

 ただし、デフォルト(返済不能)の可能性のある負債など誰も受け取らない。よって、デフォルトの可能性が極めて低い特殊な貨幣だけが、貨幣として扱われる。そのような貨幣とは「現金通貨(中央銀行券と鋳貨)」と「銀行預金」のことである。

通貨と租税

 通貨は、なぜ支払い手段等として受け入れられているのか。通貨の価値は何によって保証されるのであろうか。
 
 この点につき、国家が通貨を「租税の支払い手段」(納税義務の解消手段)として法定しており、通貨には国民の納税義務を解消する手段としての価値があるとういのが、「現代貨幣理論(Modern Monetary Theory)」(L・ランダル・レイ)の信用貨幣理論の理解である。通貨の価値を保証しているのは、徴税権を有する国家権力ということになる。

通貨と財政赤字

 通貨を、取引や貯蓄等、納税以外の用途のために流通させるためには、国家は、通貨をすべて税として徴収せずに、民間に残しておかなければならない。
 つまり、「財政支出>税収」でなければ、通貨が流通しない。
 「『正常な』ケースは、政府が『財政赤字』を運営していること、すなわち税によって徴収する以上の通貨を供給していることである。」(「現代貨幣理論」、L・ランダル・レイ)

量的緩和

 銀行は預金の引き出しに備えて、中央銀行に一定額の準備預金(日銀当座預金)を設ける義務がある。
 現在、黒田日銀がやっている量的緩和とは、銀行が日銀に開設した「日銀当座預金」を増加させる政策。しかし、銀行は日銀当座預金を原資として貸出を行うわけではない。結局、銀行預金(通貨)は、借り手がいなければ創造されない。デフレで借り手がいなければ、銀行預金は増えない。だから、量的緩和をしたけれども物価が全然上がっていない。量的緩和ではデフレから脱却できない。
 量的緩和でのデフレからの脱却という理論は、信用貨幣論を理解していないことに基づく誤解である。

財政等審議会の基本的な間違い

 財政制度等審議会は「財政健全化に向けた基本的考え方」(平成26年5月)において、多額の新規国債と債務償還に伴う借換債を低金利で発行できているのは、高い家計貯蓄率と国内の豊富な資金余剰であるが、将来においてはこのような環境が確実に維持される保証はない。国債発行額を減らして債務残高を圧縮し、金利変動に伴う財政リスクをできるだけ少なくする必要がある、としている。すなわち、今は民間の金融資産が潤沢にあるから国債が消費できているけれど、将来それが無くなるかもしれない、という警鐘をならしている。

 しかし、この考え方は基本的に間違っている。民間金融資産は、政府債務の成約にはならない。銀行が国債購入すると政府預金を増やすのだから、国債増発により得た資金を政府が支出すれば、民間金融資産はその分増える。政府が国債発行すると民間金融資産が吸い上げられて減少し枯渇するのでは無く、逆に、政府が国債発行すると民間金融資産は増えるのである。
  
 「政府の赤字がそれと同額の民間部門の貯蓄を創造するのであるから、政府が貯蓄の供給不足に直面することなどあり得ない」(「現代貨幣理論」、L・ランダル・レイ)

財政政策は、金融政策

 国債発行(財政赤字)が通貨(預金)供給量を増やす仕組み。
 
①銀行が国債を購入すると、銀行保有の日銀当座預金は、政府の日銀当座預金勘定に振り替えられる
②政府は公共事業の発注にあたり、企業に政府小切手で支払いをする
③企業は取引銀行に小切手を持ち込み、代金の取り立てを依頼
④銀行は小切手相当額を企業の口座に記帳(新たな預金の創造)。同時に、日銀に代金の取り立てを依頼
⑤政府保有の日銀当座預金が、銀行の日銀当座預金に感情に振り替えられる(日銀当座預金が戻ってくる)。

 つまり、政府が借金をすることで民間金融資産が無くなることはあり得ない。国債発行に資金的制約は存在しない。また、量的緩和では通貨供給量は増えないが、財政政策は通貨の供給量を増やすことができる。



財政悪化なくして財政再建なし

 財政赤字の拡大(公共投資の拡大・社会保障費の膨張)
 →負債の増加
 →貨幣供給量の増加
 →インフレ(貨幣価値の下落)
 →消費・投資の拡大 →経済成長 →税収増 →財政赤字の縮小

 財政赤字の削減(増税・歳出削減)
 →負債の減少
 →貨幣供給量の減少
 →デフレ(貨幣価値の上昇)
 →消費・投資の縮小 →経済停滞 →税収減 →財政赤字の拡大

 政府が行う財政赤字の削減の努力が財政赤字を拡大させている。逆に、財政赤字を拡大させるとことが、通貨の供給量を増やし、デフレを脱却し、結果として財政赤字が縮減することになる。

金利変動に伴う財政リスク論への批判

 2000年以降政府債務は累積し続けたが、長期金利は世界最低水準で推移している。デフレで借り手がいない限り、金利が急激に上昇することはあり得ない。金利が上昇し始めたら、それは借り手が増えた(デフレ脱却・景気回復)兆候なので、むしろ喜ばしい。どうしても金利変動を抑制したければ、日銀が(量的緩和として、現在、行っているように)国債を購入すれば、金利の上昇はあり得ない。金利変動に伴う財政リスクなど存在しない。

日本の財政破綻はあり得ない

 信用貨幣論によると、貸出しの成約は、貸し手の資金量ではなく、借り手の返済能力。つまり、政府債務の制約は、民間金融資産の総額ではなく、借り手である政府の返済能力。

 しかし、政府は、通貨を発行する権限を有する。政府債務が自国通貨建てである限り、借り手の返済能力に制限はない。自国通貨建て国債はデフォルトし得ない。歴史上事例が存在しない。デフォルトした例は、すべて自国通貨建て以外の国債。したがって、日本の財政破綻はあり得ない。

 もちろん、国債に発行成約が存在せず、無限に財政赤字を拡大できるかというと、そのようなことはない。財政赤字(通貨供給)が過剰に拡大すると、過剰なインフレを起こすので、無限には拡大できない。国債の真の発行制約は、物価上昇率。すなわちデフレである限り、財政赤字の拡大の制約は無い。日本はデフレなので、財政赤字は少なすぎる。

高橋洋一に学ぶ「国債の真実」

刑事手続きの流れ 逮捕後の手続き

刑事手続きの流れ 逮捕後の手続き

刑事裁判の流れ

①警察が証拠を収集し被疑者を逮捕(48時間以内)

 通常の逮捕は、警察が、裁判所に逮捕令状を請求して行います。
 例外としては、現行犯逮捕や緊急逮捕があります。

 警察が身柄を拘束し、取り調べを行うことができるのは48時間以内です。そのあとは、検察庁へ身柄を送らなければなりません。

 この移送の瞬間は、報道機関にとってチャンスです。注目事件や芸能人の犯罪などでは、この時の写真を撮影して、報道に使用されることが多いですね。
  
②検察庁(24時間以内)

 身柄が検察庁に送られますので、検察官による取り調べが開始します。
 
 検察官は身柄が送られてきてから24時間以内に被疑者の釈放か勾留請求をしなければなりません。

③勾留(最大10日)

 送検から24時間経過すると、検察官は身柄を釈放しなければなりませんが、検察官が、身柄を拘束する必要があると考え、裁判所に勾留請求をすれば、10日間の勾留が認められます。
 
 被疑者の勾留期間は、検察官が勾留を請求した日から最大10日間です。

④勾留延長(最大10日)

 やむを得ない事由があるときは、検察官が勾留延長請求すれば、さらに10日間の延長が可能です。

⑤起訴・不起訴

 逮捕されてから最長23日で、検察官は被疑者を起訴するか決めます。不起訴の場合は釈放されます。

⑥保釈
 
 起訴されると、裁判所で公判が行われることになります。

 勾留されている「被疑者」は、起訴されると「被告人」となります。

 被告人は、保釈を請求することができるようになります。第1回公判前でも可能です。被告人が裁判所に保釈請求を行い、認められると身柄は釈放されます。

 保釈請求をする場合には、保釈保証金と身元引受人が必要になります。
 
 裁判所は、保釈請求があれば、①死刑または無期懲役もしくは一年以上の懲役・禁固にあたる罪をおかしたもの②証拠隠滅のおそれがあるもの③被害者などに危害を加えるおそれがあるもの④氏名や住所が分からないものを除き、保釈するのが原則です。

⑦公判

 裁判所が公判を開き、事件を審理して、有罪か無罪かの判決を下します。
 刑事事件は、民事事件と同じく三審制です。一審の判決に不服があれば、上級の裁判所に控訴できます。二審の判決に不服があれば、さらに上級の裁判所に上告できます。

警察の階級とドラマの登場人物

特別企画:警察の階級とドラマの登場人物

 警察の階級制度と、テレビドラマや映画の登場人物の階級を、シンプルにまとめてみました。世間話に役立ちます。
 
①警察庁長官

②警視総監

③警視監

 室井慎次(柳葉敏郎、「踊る大捜査線」)
 甲斐峯秋(石坂浩二、「相棒」)
 小野田公顕(岸部一徳、「相棒」
 衣笠藤治(大杉漣、杉本哲太、「相棒」)

④警視長

 内村莞爾(片桐竜次、「相棒」)
 沖田仁美(真矢ミキ、「踊る大捜査線」)

⑤警視正

 神田総一朗(北村総一朗、「踊る大捜査線」)
 津城俊輔(小日向文世、「MOZU」)
 真下正義(ユースケ・サンタマリア、「踊る大捜査線」シリーズ内で警部補から昇格。「交渉人真下正義」時は警視)
 社美彌子(仲間由紀恵、「相棒」)

⑥警視 

 秋山晴海(斉藤暁、「踊る大捜査線」)
 袴田健吾(小野武彦、「踊る大捜査線」)
 木島丈一郎(寺島進、「踊る大捜査線」)
 鳥飼誠一(小栗旬、「踊る大走査線 THE MOVIE3」)
 明智健悟(金田一少年の事件簿)
 角田六郎(山西惇、「相棒」)
 神戸尊(及川光博、「相棒」)

⑦警部 

 藤堂俊介(石原裕次郎、「太陽にほえろ」)
 大門圭介(渡雄二、「西部警察」)
 杉下右京(水谷豊、「相棒」)
 銭形幸一(ルパン三世)
 目暮十三(名探偵コナン)
 倉木尚武(西島秀俊、「MOZU」)

⑧警部補 警察官の28%

 山村精一(露口茂、「太陽にほえろ」)
 青島俊作(織田裕二、「踊る大捜査線」シリーズ内で巡査部長から昇格)
 古畑任三郎(田村正和、「古畑任三郎」)
 大杉良太(香川照之、「MOZU」)

⑨巡査部長 警察官の29%

 安浦吉之助(藤田まこと、「はぐれ刑事純情派」)
 鷹山敏樹(舘ひろし、「あぶない刑事」)
 木下勇次(柴田恭兵、「あぶない刑事」)
 大原大次郎(こち亀の部長)
 恩田すみれ(深津絵里、「踊る大捜査線」)
 柏木雪乃(水野美紀、「踊る大捜査線」)
 篠原夏美(内田有紀、「踊る大捜査線」)
 明星美希(真木よう子、「MOZU」)
 亀山薫(寺脇康文、「相棒」)
 甲斐享(成宮寛貴、「相棒」)
 米沢守(六角精児、「相棒」)

⑩巡査(巡査長)

 両津勘吉(こち亀)
 和久平八郎(いかりや長介)
 鳴宮 啓介(伊藤淳史、「MOZU」)
 
 注:正式な階級ではなく、巡査のうち勤務が長いものへの名誉的呼称
 

⑪巡査 警察官の30%

 冠城 亘(反町隆史、「相棒」)

マインドフルネスから仏教瞑想へ⑤

マインドフルネスから仏教瞑想へ⑤

現在への集中

 マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想は、呼吸への集中、そして現在への集中を説きます。

 スマナサーラ師は、現在への集中について、

  実在しない過去、実在しない将来についてあれこれしようとすることは、無駄な努力です。それが、どうしてもそうなってしまうことが問題です。現在に生きていないということが、人類の大問題です。瞑想のものすごく大事なポイントは、現在に生きることです。瞑想とは、「いま現在に生きること」とさえ言い換えることができます。いまやっていることに面白さ、楽しみを感じるのがポイントです。(「現代人のための瞑想法」、アルポムッレ・スマナサーラ、サンガ新書)

とまで言います。

 呼吸への集中は多数経典があることを説明しましたが、現在へ集中するという考えも、古くからの仏典に従っています。


 「過去を振り返るな、未来を追い求めるな」「過去となったものはすでに捨て去られたもの、一方、未来にあるものはいまだ到達しないもの。そこで、いまあるものをそれぞれについて観察し、左右されず、動揺せずに、それを認知して。増大させよ。」(「原始仏典第七巻 中部経典Ⅳ」吉祥なる一夜、中村元監、春秋社)

 過去も未来も存在しない、自分の頭の中の妄想です。
 妄想は排除して、目の前の現在のみに集中して観察しつつ、それに左右されず、客観的に観ていく。この古くからの仏教のやり方が、現在に受け継がれている、ということになります。

 現在の呼吸や身体の動きに集中していると、いつも自分が抱えている不安や問題についての雑念がわいてきたときに、それが過去や未来に属するもので、目の前に実在するものではない妄想であることに気がつきます。このように気が付くと、その後は、無駄な思考が整理され、今やるべきことに集中できるようになります。

只今の一念より外はこれなく候

 「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名な「葉隠」は、武士の勤めの心得やエピソードが列記された江戸時代の古典です。
 著者(口述者)の山本常朝は、若いころから仏道を学び、隠居後は出家もしているので、武士道のみならず、仏教への心得も深いものがあります。このため、「葉隠」は、武士の心得を語りながらも、あちらこちらに仏教的な要素がちりばめられています。

 そこには、
 
  端的只今の一念より外はこれなく候。一念々々と重ねて一生なり。ここに覺えつき候へば、外に忙しき事もなく、求むることもなし。ここの一念を守って暮すまでなり。皆人、ここを取り失ひ、別にある様にぱかり存じて探促いたし、ここを見つけ候人なきものなり。(「葉隠 上」和辻哲郎、古川哲史校訂、岩波書店)

 であるとか、

  当念を守りて、氣ぬかさず、勤めて行くより外に、何も入らず、一念々々と過ぐす迄なり。(同書)

などの記述があります。

 この部分は、武士としての勤めの秘訣を述べたものですが、おそらく、現在への集中を説いた仏教思想の影響であり、禅などの仏教瞑想により常朝が体得したものでしょう。現代人がマインドフルネス瞑想の効果をビジネスに生かそうとしていますが、江戸時代の武士も仏教瞑想で得た知見を奉公に生かしていたのです。

マインドフルネスから仏教瞑想へ④

マインドフルネスから仏教瞑想へ④

歩く瞑想

 歩く瞑想の場合なども、実況中継のように念ずることは、同じです。

 今度は、ミャンマーの上座部仏教の高僧マハーシ長老の書籍から引用します。

 歩く瞑想は、


 歩くたびに、
 「歩いている、歩いている」
 あるいは
 「右足が歩いている、右足が歩いている」
 または、
 「左足が歩いている、左足が歩いている」
 と念じてください。
  足を踏み上げて踏み出すまで、最初から最後までの歩みを自覚しておかなければなりません。
 (「ミャンマーの瞑想 ヴィパッサナー観法」、マハーシ長老著、国際語学社)

という要領で念じながら行います。
 
 食事のときなども、


 口に触れたら、
 「触れている、触れている」
 と念じ、口を開けたら、
 「開けている、開けている」
 と念じてください、
 口に入れる時には、
 「入れている、入れている」
 と念じてください。(同書)

というような要領で、観法を続けます。
 

ヴィパッサナー瞑想のポイント

 ヴィパッサナーのポイントは、


一、良いことにせよ悪いことにせよ、考えること、思い出すこと、想像することなどの心の状態を念じること(心)
二、大小問わず、体による行為をするために念じること(身)
三、快感でも不快感でも、体または心に感じるすべてのことを念じること(受)
四、良いことにせよ悪いことにせよ、心の中に現れてきたあらゆる対象(物事)を念じること(法)
 このような特別に念ずべき物事が生じてこない時は、膨らみや引っ込みや座りなど、もとの対象に戻り、念を繰り返して下さい。
 ただし、歩いている時は、
 「足を持ち上げる、運ぶ、踏み出す」
 その三つだけを念じ続けて下さい。(同書)

とのことです。 

経典上の根拠

 古い経典にもこのような瞑想は書かれています。

 例えば、

 修行僧は歩いていけば「わたしは歩いている」と知り、また、立っていれば「わたしは立っている」と知るのである。また、坐っていれば「私は坐っている」と知り、臥せていれば「わたしは臥せている」と知るのである。また、いかなる状態であれ、かれの身体がおかれている状態のとおりに、それを知るのである。(「原始仏典第二巻 長部経典Ⅱ」心の専注の確立 ―大念処経、中村元監修、春秋社)

 とあり、食事や大小便のときも気をつけて行うようにとされています。

マインドフルネスから仏教瞑想へ③

マインドフルネスから仏教瞑想へ③

出入息観、念身

 マインドフルネスの原型となったヴィパッサナー瞑想ですが、仏教の経典ではどのようになっているのでしょうか。

 原始経典には、このような呼吸と身体に集中する修行法を説いたものが沢山あります。


 足を組んで身体をまっすぐに伸ばし、正面に思いを定めて座る。
 かれは意識しながら息を吸い、意識しながら息を吐く。
 長く息を吸いながら、「私は長く息を吸っている」と知る。
 長く息を吐きながら、私は長く息を吐いている」と知る。


 短く息を吸いながら、「私は短く息を吸っている」と知る。
 短く息を吐きながら、「私は短く息を吐いている」と知る。


 「全身を感じ取りながら息を吸おう」と練習する。
 「全身を感じ取りながら息を吐こう」と練習する。

(中略)
 「心の活動を感じながら息を吸おう」と練習する。
 「心の活動を感じながら息を吐こう」と練習する。


 「心の活動を鎮めながら息を吸おう」と練習する。
 「心の活動を鎮めながら息を吐こう」と練習する。


 「心を感じ取りながら息を吸おう」と練習する。
 「心を感じ散りながら息を吐こう」と練習する。

(「原始仏典第七巻 中部経典Ⅳ」出入息観 ―治意経、中村元監修、春秋社)

 であるとか、


 足を組んで身体をまっすぐに伸ばし、正面に思いを定めて座る。
 かれは意識しながら息を吸い、意識しながら息を吐く。
 長く息を吸いながら、「私は長く息を吸っている」と知る。
 長く息を吐きながら、私は長く息を吐いている」と知る。


 短く息を吸いながら、「私は短く息を吸っている」と知る。
 短く息を吐きながら、「私は短く息を吐いている」と知る。


 「全身を感じ取りながら息を吸おう」と練習する。
 「全身を感じ取りながら息を吐こう」と練習する。


 「身体の活動を鎮めながら息を吸おう」と練習する。
 「身体の活動を鎮めながら息を吐こう」と練習する。


 かれがこのようにたゆみなく熱心に打ち込んでいると、在家的な記憶と思考がなくなる。
 それがなくなると内に心が安定し、落ち着き、集束し、集中する。

(「原始仏典第七巻 中部経典Ⅳ」身体に向けた注意 ―念身経、中村元監修、春秋社)

 というように、ほぼ同じような、呼吸の入出息観が書かれたものが、多数あります。
 
 呼吸する息の流れを認識し続け、呼吸する身体を認識し続ける、このような古くからの教えが、ヴィパッサナー瞑想瞑想の根拠となっているわけです。
  
 このような経典と比較すると、スマナサーラ師の著作が意識しながら身体を動かしたり呼吸することを「実況中継する」と表現することや、呼吸や身体を感じるのに活動する腹の動きを中心にすえるというやり方は、基本から外れることはなく、なおかつ初心のうちからコツをつかみやすく分かりやすいものに思えますので、平易で優れた指導法ではないでしょうか。

マインドフルネスから仏教瞑想へ②

マインドフルネスから仏教瞑想へ②

ヴィパッサナー瞑想

 マインドフルネスのもとになったのが、ヴィパッサナー瞑想瞑想です。

 東南アジアなどの上座部仏教に伝わる、伝統的な瞑想法です。

 おおむね、原始経典に書いてあるとおりの修行法ですが、細かい部分でさまざまな流派があるようです。

 日本では、日本テーラワーダ協会のスリランカ出身の僧侶スマナサーラ師が、多数の書籍を出しているので、仏教書のコーナーに行けば、容易に手に入ります。

 やり方としては、マインドフルネスとほぼ同じです。

 というよりも、マインドフルネスがヴィパッサナーから作られたものだからです。

 立ってやる方法もあるし、座ってやる方法もあるし、横になってする方法もあります。

 スマナサーラ師は、身近な言葉で、わかりやすく次のポイントを説明をしています。
 
①いま、なにをしているかを、途切れることなく「実況中継」する。

②身体は「スローモーション」で動かす。

③身体の感覚をしっかりと感じ、「ひとつひとつ言葉で確認」する。

 身体や心の動きを観察し、注意を払い続けていくこと、念じ続けていくことを、「実況中継」という現代用語で表現をしているわけです。

やり方

 スマナサーラ師が説く、座るヴィパッサナー瞑想についてのやり方を、若干、準備段階の細かいステップを省略していうと、

①ゆっくり背筋を伸ばして座る。

②呼吸をしながら、下腹部の動きを「膨らみ、膨らみ、縮み、縮み」と実況中継する。
 アナウンサーのように、自分の気持ちや、自分の考えを入れず、客観的に、おなかが膨らめば「膨らみ、膨らみ」、縮んでいるときは「縮み、縮み」と実況中継する。

③痛み、かゆみ、しびれなどの感覚が現れた際には、その感覚を実況中継する。
 痛み出たら「痛み、痛み」、かゆみが出たら「かゆみ、かゆみ」。これらの感覚が消えたら、また「膨らみ、縮み」に実況中継を戻す。

④雑念や妄想が出た場合は、「妄想、妄想、妄想」「雑念、雑念、雑念」と実況中継することで退治する。

 スマナサーラ師は、この瞑想により、「真理をみる能力が獲得できます。なにものにもとらわれない、どんなことでも驚かない、悩まない、執着しない、束縛しない心ができあがります」「脳が開発され、いままで使うこともなく寝ていた脳細胞まで働き出します。」「脳が働き出すと、頭はよくなります。ものごとをたちまち正しく判断できるようになります。「ヴィパッサナー瞑想」を実践する人には、自分の希望通りの生き方をすることは、いたって簡単です。これは、巨大な力をもっている心の能力を妨げる障害を取り除く方法です。心を清らかにする方法です。」(「現代人のための瞑想法役立つ初期仏教法話4」、アルボムッレ・スマナサーラ、サンガ新書)

 などと述べています。

マインドフルネスから仏教瞑想へ①

マインドフルネスから仏教瞑想へ①

 ここ数年、マインドフルネス瞑想が流行しており、書店で多数の書籍をみかけます。

 この瞑想法は、分子生物学の博士号を持つ米国マサチューセッツ大学医学大学院のジョン・カバット・ジン教授(1944年6月5日~)が、仏教瞑想から着想を得て、そこから宗教色を取り除いて医療用に開発したものです。

 ストレスが低減される、心が落ち着く、リラックスできる、集中力が高まる、創造性が向上する、抑うつを改善する、良質な睡眠がとれるようになる、自律神経が整う、よく眠れるようになる、など様々なメリットが期待できます。
 近年は、アップル、グーグル、フェイスブック、インテル、マッキンゼーなど多くの企業が研修に取り入れるようになり、ビジネスシーンでも着目されるようになりました。

 瞑想でも昼寝でも、脳をすっきりさせれば、仕事が効率的になるのは間違いないですから、生産性向上を追求し続ける企業が採用するのも当然といえば当然ですね。

 ところで、アメリカ人が仏教瞑想を医療やビジネスに活用するにあたり、仏教色を排除したほうが親しみやすくなり、気軽にできるのは理解できます。
 しかし、日本人がやる場合に、仏教色を排除する必要があるでしょうか?

 日本人には、キリスト教やイスラム教などへ義理立てしなければいけない人は少ないはずです。

 日本人の心は、自分が仏教徒とは意識しなくとも、仏教色でいっぱいです。言語も、思考方法も、行動様式も、伝統芸能や文学作品のような文化まで、あらゆる面に、諸行無常をはじめとする仏教的価値観が影響しています。そうした素地のある日本人ならば、マインドフルネスより、仏教色を強めた瞑想をしたほうが、より得るものは大きいのではないでしょうか。

 ということで、マインドフルネス、そしてそこから一歩進めて仏教瞑想の基本をみていきたいと思います。

まずは、マインドフルネス

 マインドフルネスとは何でしょうか?
 日本マインドフルネス学会は、

 「本学会では、マインドフルネスを、“今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること” と定義する。 なお、“観る”は、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観る、という意味である。」

 と定義しています。

 今、現在を、観じ続ける、というわけです。

 具体的なやり方としては、

①姿勢を正し、背筋を伸ばし、肩の力を抜いて、目を閉じるか、視線を半眼で斜め前に落とします。
 座り方は、椅子に座っても、正座でも、足を組んでもかまいません。立っても問題ありません。

②呼吸に注意をむけます。呼吸をコントロールせず、自然なままの呼吸を観察します。特に深呼吸を意識的にするようなことはしません。
 呼吸によって、お腹や胸がふくらんむ感覚に注意を向けながら、吸っている感覚、吐いている感覚に注意を払い続けます。

③雑念で妄想などがわき、注意がそれたことに気づいたら、また呼吸に注意を戻します。
 
 そうしていると、今現在、現実に起きていることだけに、意識が集中されていきます。

 ジョン・カバット・ジン教授は、仏教のヴィパッサナー瞑想瞑想を学んで、この手法を開発しました。仏教には、「大念処経」など、呼吸に集中する修行法を説く経典がたくさんあります。ヴィパッサナーというのは、日本の仏教では「観」といい、日本でも「随息観」など同様な観法は古くからあります。
 

特集:双極性障害 山口達也さんも?

特集:双極性障害 山口達也さんも?

TOKIO山口達也さんも?

 一部週刊誌で、TOKIOの山口達也さんは、双極性障害の治療をしていた、と報道されています。

 真偽はともかく、性的逸脱は双極性障害の症状の一種ですから、山口さんの犯した失敗とつじつまが合います。

 また、この病気は周囲をとても困らせるものですので、会見で見せたほかの4人のメンバーの厳しい顔やコメントの内容、特に松岡さんの発言などは、一度失敗しただけの山口さんや、TOKIOのイメージダウンに怒っているというよりも、これまでも何度も山口さんの躁うつ病の症状に困惑させられてきたことによるものとして理解できそうです。

 
双極性障害とは

 「双極性障害」は、以前は「躁うつ病」と呼ばれていた、躁状態とうつ状態をくり返す病気です。

 うつ状態は、抑うつ気分があり、興味や喜びが失われたような症状のある状態のことです。
 これに加えて、夜眠れない、食事が美味しくない、何もする気になれないなどの症状が出ることがあります。また、悪化すると、「お金がない」「自分は重い病気にかかっている」「自分は犯罪を犯しているので刑罰を受けることになる」などの妄想が現れることもあります。

 2010年にナインティナインの岡村隆史さんが体調不良で休養する前のエピソードとして、相方の矢部浩之さんが、岡村さんが楽屋で「お金がないで!」と言い、銀行に行けばお金はあるでしょうと話しても、お金がないを繰り返し、会話にならなかったため、異変に気がつき休養を進めたと話していますが、これなどは、うつ状態による妄想の典型的なものと言えそうです。

 躁状態は、高揚し、夜も眠れず、興奮した調子で話し続けたりします。

 躁状態というと、ご機嫌で、元気がよくて、良いじゃないか、というイメージを持ちますが、この病気の躁状態とは、過度な興奮状態に入り、攻撃的であったり、傲慢になったり、金遣いが荒くなったり、性的に奔放になるなどして、周囲の人間を苦しめます。

 仕事などについては、アイディアが次々とわいてくることがあります(本人はとても良いアイディアだと思いますが、周囲からみると、そのアイディアはごく凡庸であったりします)。

 躁状態の患者は、自分の言動は正しいと感じており、周囲に異常を指摘されても、自分が病気であるという自覚を持つことはできません。病気や再発を指摘されても、攻撃的になり「お前が間違っているのを、人の病気のせいにしているだけだ。おれは正しいことを言っている」、などと述べます。

 うつ状態の暗く不機嫌な態度や無気力、躁状態の激しい言動や金遣い、性的逸脱行為などの影響で、仕事や家庭を失うことがあります。

1型とⅡ型がある

 双極性障害にはⅠ型とⅡ型があります。
 
 うつ状態はⅠ型もⅡ型も同程度で、違いは躁状態のほうにあります。
 双極I型障害は、極端な躁があり、双極Ⅱ型障害は、躁が軽いものです。

 極端な躁というのは、暴力、非常に強い興奮状態、無謀なことをするような状態です。
 軽い躁というのは、多弁、動き回る、気前がいい、という程度の人も含まれてきます。

 軽い躁なら、うつ病の人が調子よい時と同じようなものではないかという気もしますが、鬱病と双極Ⅱ型障害では、治療に用いる薬などがちがってくるし、うつ病よりも双極性障害のほうが再発が多いので、病気としては分けて考えることになるそうです。

治療方法

 現在のところ、薬物療法が中心で、それ以外は、普段のストレスを減らすなどの予防的ものしかないようです。 

 基本として用いられるのが、リチウム(商品名 リーマス等)、という気分安定薬です。
 これは治療にも予防にも用いられます。
 躁を改善し、鬱を改善し、自殺予防効果があります。
 副作用は、口がかわいたり、手が震えたりすることです。
 このほか、気分安定薬には、躁に有効な、バルプロ酸(商品名 デパケン等)やカルバマゼピン(商品名 テグレトール等)などがあります。
 こうした気分安定薬を中心に、抗精神病薬や、抗うつ薬を組み合わせて、治療します。

 概して、躁を抑える薬はたくさんありますが、双極性障害の鬱に有効な薬がほとんど無いそうです。
 単純に、うつ病で用いられる抗うつ薬を飲ませても、それが原因で躁に転じてしまうこともあり、薬の調整が難しい病気です。

 治療により、改善する病気ではありますが、再発が多い病気でもあり、治療を怠ると、何度も繰り返す傾向があります。

      参考文献「双極性障害」(加藤忠史、ちくま新書、2009)