宮崎哲弥に学ぶ 日本の経済議論の変遷



宮崎哲弥氏の変遷

 評論家の宮崎哲弥氏は、自身の経済言論の変遷を、このように説明しています。 
 
「私は、2000年代初頭まではかなり強硬な反リフレ論者で、ゴリゴリの構造改革派だったんですよ」

「ところが徐々にリフレ政策を見直すように」

「理由は、日銀が2001年3月から始めた量的緩和策と時間軸効果政策がかなり効いたからです。」、日銀の量的緩和はマネタリーベースは増加してもマネーサプライは増加しなかったという批判はあるが、「少なくともデフレの進行を止め。マイナスだったインフレ率をゼロ近辺まで引き上げることには成功した」。(「日本経済復活一番かんたんな方法」、光文社新書、2010)。

 評論家としては一貫性の喪失により信頼性を失いかねない危ういポジションチェンジでしたが、経済指標を見極め、過ちを認めて迅速に方向転換したことで、信頼を失うことなく生き残っています。

 宮崎氏の言論をたどると、構造改革路線から転換した、日本の経済論戦の歴史を学ぶことができそうです。

2001年5月の宮崎哲弥

 宮崎哲弥氏は、2001年5月ころは、日銀の金融緩和を強く否定する考えを持っていました。インフレにより貯蓄は目減りするし、国債暴落の可能性すら懸念しています。

「日銀の実質ゼロ金利復帰によって銀行預金の利子はまたしても雀の涙になってしまった。さらに日銀はインフレになるまでお札を刷り続けるそうだから、これから物価は上昇に転じる可能性が高い。となれば利子どころか貯蓄は目減りする。預金だってゼロリスクじゃない。銀行の国債保有残高は増加の一途で、万一、何かの拍子で国債が暴落したら大変なことになる。」(「1冊で1000冊読めるスーパー・ブックガイド」、新潮社、2006)

2001年9月の宮崎哲弥

 宮崎哲弥氏は、2001年9月、インフレ目標値の設定を求める声が増加していることを記述し、日銀が量的緩和を実施することを「垂れ流す」と批判的な書きぶりで表現しています。

「自民党内にもインフレ目標値の設定や調整インフレ政策を求める声が湧き上がっている。こうした批判を受けて日銀は八月十四日に日銀当座預金残高を六兆円程度に増やすことと長期国債の買い入れ増額を決めた。既にジャブジャブのところに、さらに一兆円を超えるお金を垂れ流す政策を採ったわけだ。」(「1冊で1000冊」)

「しかし、銀行筋やマクロ経済学者はまだまだ生温いという。興味深いのは、金融実務に精通しているエコノミストは量的緩和やインフレ政策に否定的なのに対し、マクロ経済学者は概して推進論に傾いていることだ。」(「1冊で…」)

2002年3月の宮崎哲弥

 宮崎哲弥氏は、2002年3月、再び、インフレターゲット論が高まっていることを紹介し、インフレでは弱者は救えないと、批判的な書きぶりをしていました。

「日本銀行にインフレターゲットを設定させよという政治的圧力が高まっている。主に圧力をかけているのは与党の一部、財務省など。インフレターゲット政策の目的は、金融政策で意図的に物価を吊り上げること。」(「1冊で…」)

「まずこの政策の提唱者、ポール・クルーグマンの『恐慌の罠』(中央公論新社)を読む。国民が『物価はこれからも下がり続ける』と予測し続ける限り、デフレ脱却は望み得ない。だから日銀が決然たる意志をもってお金をジャブジャブ供給し『これから物価が上がる!』に予測を反転させるべきとクルーグマンはいう。さすれば貯蓄は将来的に損になるので、人々の消費や投資への欲望に火が付く、めでたくデフレ脱却、インフレ成就になる、というわけ。」(「1冊で…」)

 この後、岩田規久男の「デフレの経済学」等を紹介し、「だけどインフレで弱者が救える?」とのコメントを添えます。

 さらには、加藤出「日銀は死んだのか?」を紹介し、インフレ政策の手本とされる戦前の高橋財政は、インフレ景気で潤ったのは一部の産業家ならびに金融業者で、失業は緩和されたが、一般労働者の実質賃金は下落し続け、多くの人々は物価高に喘いだという加藤の論を丁寧に紹介しています。

2002年7月の宮崎哲弥

 
 宮崎哲弥氏は、インフレターゲットを、消極的な趣旨で、認容する言論をはじめます。

「インフレターゲットにはちょっと首をかしげる部分もある。理屈はわかるんですよ。先ほど林さんが言われたように、なんの財政出動も必要ないわけですし、成功すればまさに打ち出の小槌のようなものだと思うんです。しかし現状では日銀に対して、一般国民がそんなに信認してないじゃないですか。それで『消費者物価指数をどこそこまで上げる』と発表して、はたして本当に国民が動くか、物価が上がるかが、まず疑問です。」(「希望のシナリオ」、PHP研究所、2003)

「欧米の経済学者っていうのは『インフレターゲットをやるんだったら、必ず不良債権処理もちゃんとやります。経営者責任も追及します』って両論を主張するんですよ。日本の経済評論家、エコノミストと称される人たちはたいがい片方を大声で言って、片方はちょっとしか言わない。だから私は、これからまたデフレの二番底が来るならば、そして本当に効くんだったら、あるいは制御できるんだったら、二%くらいのインフレターゲットも政策的なオプションとしてあってもいいと思うんです。ただ、同時にやらなきゃいけないこともいっぱいあるということだと思いますね。」(「希望のシナリオ」)

2003年2月の宮崎哲弥

 宮崎哲弥氏は、再び、インフレターゲットを、消極的に認容する発言をしています。

「誰も確言できないでしよ。ただ、マクロ経済学者は蛮勇にも”2003年デフレ終息”を予測していますね。理由は、”インフレ・ターゲットの導入”です。」(「ニッポン問題」、インフォバーン、2003)

「インタゲを導入しそうなので、『めでたくデフレは終息』ってわけです。本当かなあ(笑)。まあ、クルーグマンとかが言ってるように、デフレが純然たる貨幣的現象ならば、そうなるでしょう。でも、果たしてそうかな。私にはよく分からない(笑)。いずれにしても、やってみなくちゃ決着しないので、最近は『インタゲ、やればぁ』と、立場を変えました(笑)。もちろん、”不良債権抜本処理”と”銀行経営者の責任追及”が前提ですけどね。」(「ニッポン問題」)

2006年3月の宮崎哲弥

 宮崎哲弥氏は、206年3月、日銀の量的緩和解除について否定的評価をする論を多数紹介し、「日銀のカルマ」と題しています。ここにおいて、路線を大きく変更しました。

「三月九日、日本銀行は金融の量的緩和策の解除に踏み切った。新聞やテレビは、二○○一年三月にデフレ克服のために導入された『異例の政策』から脱し、ようやく正常化への緒に就いたと報じている。だが、酒井良清、榊原健一、鹿野嘉昭(A)『金融政策」(改訂版有斐閣アルマ)によれば、量的緩和策は非伝統的ではあるけれども、決して異例でも異常でもない。日銀が金融市場に供給する資金量(ベースマネー)を増やす政策は、デフレが貨幣的現象である限り、景気の下支えになったはずである。それどころか、リフレ派の経済学者にいわせると量的緩和でも生温い。直ちにインフレ・ターゲットを導入せよ、ということになる。」(「1冊で…」)

2006年7月6日の宮崎哲弥

 宮崎哲弥氏は、2006年7月には、日銀のゼロ金利解除を強く批判し、直接的に金融緩和政策を提言するようになります。

「福井俊彦日本銀行総裁が、インサイダー取引で摘発を受けた村上ファンドに1000万円を出資し、その利益が一1473万円にも膨らんでいたことが明らかになった。これに先立って福井は「(運用益は)大した金額ではない」と国会で発言している。金銭感覚が一般とは異なるようだ。何せ日銀総裁は年収3578万円の高給取りだ。」(「1冊で…」)

「福井は早晩、ゼロ金利解除を強行するだろう。」「ゼロ金利解除は『日銀の本能』なのだ。そして速水優前総裁はその『本能』に従い、デフレを増悪させた。日銀は過ちを繰り返すしか能がないのか。」(「1冊で…」)



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